川と海から-111.山川トンネル・県営間坂トンネル
江戸期から磯子区北部と南部の海岸地域は断崖が海に迫って往来の道がなく、両地域の関係は深くなかった。 長いあいだ内陸部大岡川沿いの「金沢道」が南北の幹線道路で、今の笹下の東樹院周辺に久良岐郡役所・登記所・警察署が置かれ中心地となっていた。明治11年に磯子村の有力者山川吉左衛門...
川と海から-110.磯子の「谷戸」
柳田国男の「地名の研究」に「やと」に触れた個所がある。やや長いが引用してみよう。「扇ケ谷、世田ケ谷など、鎌倉ではヤツを谷と書くこと年久しく、しかも鎌倉は文化の一中心であったために諸国に真似をする者が出て、今は当然のように考えられているが、いわゆる谷七郷(やつしつごう)はむし...
川と海から-109葦名橋・安藤橋
明治32年から大正2年にかけて「森」から「浜」のあたりまで埋め立て工事をしたのが間坂に住んでいた土木請負業の葦名金之助である。 資金を提供したのは東京の建設業者安藤庄太郎だった。葦名・安藤の両氏は河川の改修工事もしたが二人の名は葦名橋公園に葦名橋の親柱として、また元NTT磯...
川と海から-108.磯子花街
横浜市史稿風俗編には大正~昭和初期の市内の花街が多数上げられているがそのひとつが磯子花街である。16号線の「浜」から「芦名橋」南部にかけて芸者置屋や料理屋が並びOldgooddaysの名所であった。現在のマンション(ナイスア-バン磯子)のところに見番(検番とも書く)があって...
川と海から-106.旧磯子区役所跡(現磯子消防署)・戦時中の磯子区役所
現在の磯子消防署のある場所にかつて磯子区役所があった。昭和2年10月に横浜市で初めて五つの「区」が誕生したがそのひとつ「磯子区」の区役所が同年11月に建てられ昭和42年まで磯子区民に広く愛された。区役所の前に市営バスのタ-ミナルがあって区内や中心部でのバスが発着していた。...
川と海から-105.堤磯右衛門旧宅
磯子旧道を少し入った右手に旧家の堤家があるが磯子の有名人堤磯右衛門の旧宅である。江戸期の磯子村は旗本小浜志摩守と星合摂津守の相給(複数の旗本の知行地)で、堤家は星合支配下で村役人を勤めた。石鹸製造が有名だがそれ以外に土木工事請負でも知られ、お台場や横須賀製鉄所の工事で知られ...
川と海から-104.浜マ-ケット
区内で戦後めざましい発展したマ-ケットだが、戦時中の疎開でできた空地に戦後いつの間にか食料品その他日用品を商う露店商が集まり誕生したヤミ市が発端で、現在も盛業中である。一説に戦時中岡村方面からの戦車を通すための道路だったというが、岡村に戦車はいなかったし戦車往来の必要などな...
川と海から-103.真照寺
正式名称は古義真言宗「禅馬山三郷(さんごう)院真照寺」という。江戸寛永期に51を数えた南区堀ノ内・宝生寺の末寺の一つだが、磯子平子氏の館跡で山塞に囲まれた平子氏の本拠地とされている。平子氏関係の古文書類はすべて宝生寺に集積されているが、両寺は平子氏を中心に密接な関係にある。...
川と海から-102.室の木古墳
「室」の文字を含む地名は室津、室積、室ノ浜、室根、室見など全国に見られるが、近辺では追浜の旧横須賀海軍航空隊付近(現在工業団地)の所在も「室の木」である。これらはいずれも海沿いの場所だが、古くからビャクシン科の「ねず」(一名ね「ずみさし」とか「社松」とか言う)が「むろ」と呼...
川と海から-101.南川尻橋跡と禅馬川水系(この周辺の地名)
16号線はバス停「浜」のところで禅馬川と交差しており、ここには「南川尻橋」という橋があった。この下流はすぐ海で放流していが、今は一帯が埋め立てられ、禅馬川もすべて暗渠になったため川の存在も忘れられている。16号線から磯子小学校のあたりまで屈折し道路が続いているがこれが暗渠で...