山の手散策-033.ウチキパン
- daddy99432you
- 2010年5月2日
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万延元年(1860)に内海兵吉という人がフランス軍艦のコックからパンづくりの手ほどきを受けて横浜で焼き始めたのが日本人の最初と言われている。翌文久元年(1861)、居留地在住のアメリカ人W.グッドマンが横浜で始めて「ファミリ-・ベ-カ-」というパン屋を開業し欧州から小麦粉を輸入してうまいパンを提供すると宣伝した。当時は山手一体に米仏軍隊が駐留し、居留地には各国の商館が立ち並んだからパンの需要も切実でバ-カリ-も次々誕生した。それぞれの国の嗜好にあわせてイギリスパン・フランスパン・ドイツパンなどの種類もできた。
慶応元年(1865)にグッドマンの後継者たるイギリス人R.クラ-クが創業した「横浜ベ-カリ-」は特に有名で、35年にわたってパンを焼き続けるが、地元の打木彦太郎をパン職人として育てたと言うが、開港資料館の「横浜もののはじめ考」では真偽不明としている。彦太郎は「横浜ベ-カリ-」の看板をもらい、石竈を大きくしたりビ-ル工場のホッブを種にしたりして工夫をこらした。明治39年版の人名録に横浜ベ-カリ-(宇千喜麺麭製造所)の広告が見える、当時のウチキはパンの製造販売だけでなく、喫茶室(原文ではリフレッシュメント・ル-ム)で紅茶・コ-ヒ-・ケ-キなど賞味できる現代に通じる形態だったようである。明治5年に海軍が兵糧としてパンを採用し、5年後には陸軍もこれにならった。日清戦争、日露戦争にあたっては軍の御用商人として多大の利益をあげるおになった。当時の宇千喜パンでは職人を80人もかかえていたという。大正7年の米騒動が起こると群衆が殺到するほどパンが売れ、これを契機にして一般家庭にパン食が普及されたと言う。
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