川と海から-143.後北条氏と房総里見氏との「湾岸戦争」
16世紀を通して東京湾をはさんで武蔵・相模側沿岸と対岸の安房・上総沿岸とは小田原に本拠を置く後北条氏と房総里見氏との間の戦火の犠牲になった地域で、里見軍侵攻の伝承が数多く残されている。両岸ともたえずそれぞれの侵入軍の略奪・放火に怯えていた。沿岸の漁民・農民が窮余の一策とした...
川と海から-142.第三海堡の撤去・「中の瀬」浚渫作業
千葉県富津岬と三浦半島観音崎の間の水域は浦賀水道の最も狭い部分で幅7キロメ-トルしかない。ここを通過する船舶は巨大タンカ-を含め一日平均600隻といわれ、その錯綜ぶりは絶えず大事故発生の可能性をはらんでいる。しかも水道の中間には「中の瀬」という浅瀬と、その西側の「第三海堡」...
川と海から-141.朝鮮人労務者による地下工場
市立夏島小学校南側の丘陵内部に高さ3メ-トルから5.5メ-トル、幅3メ-トルから5.6メ-トルの通路が何本も碁盤目のように張りめぐらされている。コンクリ-トは使われず岩盤がむき出しのままである。今でもトロッコの枕木跡、線路やカ-ブ跡が残り、食堂と思われる広い部屋状の部分には...
川と海から-140.野島の巨大な地下格納庫
野島は戦前は陸続きではなく夏島同様に金沢沖に浮ぶ小島だった。乙舳海岸の砂州が伸びて州崎村と地続きになったものである。戦後ここの山頂と北側斜面に貝塚があることがわかったが、夏島同様このあたりは古代人が住むには好適の地であった。横浜の海岸線は弥生時代以降は戦後の大規模埋め立てが...
川と海から-139.予科練の碑、飛行機のない予科練たち
横須賀市浦郷町の「貝山緑地公園」の山腹に海軍航空の発祥と予科練の誕生を記念する石碑が建てられている。もともとこの山は航空隊の敷地内にあり殉難者を祀った「追浜神社」があったところで、隊員たちの心のよりどころであり、また発着の際の目視の目印であった。気象観測所もここにあった。海...
川と海から-138.横須賀海軍航空隊
日本海軍航空は、アメリカでライト兄弟が飛行してから6年後の明治42年に海軍大尉相原四郎と海軍機関大尉小浜方彦の二人が海軍大学選科生として航空研究を命じられたことから出発する。 明治45年6月、横須賀鎮守府司令長官の下に海軍航空研究委員会が設置され、この夏に相原大尉と金子大尉...
川と海から-137.長浜検疫所
明治12年7月コレラの蔓延を防ぐため検疫停船規則が制定され、流行地域から入港する船舶は検疫所に回航し検査や消毒を受けることが義務づけられた。 神奈川県は横須賀市長浦に「消毒所」を設置したが軍港拡張のためこれを長浜に移転させた。その後内務省直轄となり横浜海港検疫所長浜措置所と...
川と海から-135.大日本兵器㈱富岡兵器製造所・湘南工機工場
昭和11年1月に海軍航空本部から20ミリ機関銃(海軍では陸軍とちがい口径40ミリまでを機関銃と言った)および弾薬包装製造の照会を受けた浦賀船渠(ドック)株式会社はスイスのエリコン機関銃が最適という結論に達した。高速で回転する戦闘機のプロペラの間から連続して弾丸を発射する機...
川と海から-134.沖から見えるもの(3)
【富岡・追浜沖で】 ■南部市場 ■金沢下水処理場 ■機械金属団地 ■横浜ヘリポ-ト ■リバ-スチ-ル ■三菱重工業 ■横浜機械工業団地 ■横浜市大病院 ■トヨタ自動車 ■環境事業局金沢工場 ■メッキ工業団地 ■ニッパツ ■横浜ベイサイドマリ-ナ ■化学工業団地...
川と海から-133.小柴の海で引き上げられた敵味方のプロペラ
太平洋戦争のさなか京浜上空では空爆に飛来したB29、護衛戦闘機P51と厚木や横須賀の航空隊から迎撃に飛び立った日本の戦闘機が壮絶な空中戦を展開していた。またあちこちの丘陵に布陣した高射砲の火が噴いた。その結果かなりの数の日米両国の飛行機が今は平穏になった根岸湾に沈んでいる。...