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川と海から-088.ベイブリッジとは何であったか?(コ-ヒ-ブレイクのつもりで‥‥)

  • daddy99432you
  • 2010年1月27日
  • 読了時間: 2分

 葛城峻「横浜の虚について」(「横浜屈辱都市論」所載)より。

 「ベイブリッジ」誕生の横浜市史上の意味は、本牧埠頭と大黒埠頭を最短距離で結び輸送時間短縮や交通渋滞緩和に貢献した経済効率より、港の中心を水面を閉曲線に封じ込めて横浜を横浜たらしめてきた西欧文明への開口部を鎖し、巨大な「虚」の中心を完結させたことにある。浅間丸や氷川丸などの定期船が赤白灯台の間に姿を消すたび、識別煙突の色あざやかな外国船が姿を現すたび、灯台の向こうには「西洋」が蜃気楼のように浮かび上り、栄容と頽廃のワンダ-ランドとして大桟橋の少年に奇妙な興奮を与えてくれた。いま海上五十メ-トルの空中楼閣「展望ラウンジ」や「スカイウオ-ク」から見下ろせば、五色のテ-プに感傷をこめた頃とちがって豪華船の遊歩甲板もスイミング・プ-ルもあらわに眼下を通り過ぎ、魔法の扉だった二つの灯台はペンキの剥げた小屋でしかない。サウスピアに寄せる波がテムズ川に連なる感動も今は昔、異国の巨船も足の下という珍奇な角度でシャッタ-を押す見世物になった(中略)。「ミナト幻想」は日ごと夜ごと肥大し「未来幻想」「消費幻想」「情報幻想」と飽きることなく自己増殖している。「されば港の数多かれどこの横浜に勝るあらめや‥‥」森鴎外作詞を名誉とするこの町の市歌はいまや幻想交響曲の趣きがあるが、ベルリオ-ズのこの曲のフィナ-レが「断頭台への行進」であったことは忘れるわけに行かないのである。

 
 
 

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