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中華街を鏡に考える-017.牛乳搾り場の経営開始(106番朱雀門東側あたり、1861年・万延2年)

  • daddy99432you
  • 2008年9月7日
  • 読了時間: 1分

 開港直後の居留地の外国人にとって困ったのは日常欠かせない牛乳の入手が困難だったことである。そのころの日本では牛乳は医薬品と考えられていて販売量が少なかったのである。

 オランダ人スネルはこれをビジネス・チャンスと考え、文久初年に前田橋際に牛乳搾り場を設け外国人に牛乳販売を始めた。千葉の長生郡出身の前田留吉は二十歳のとき横浜に出て金儲けを考えていたが、たまたまスネルに雇われてここで就業することになったが、慶応2年8月(1869)、スネルの援助で太田町8丁目の現在の加賀町警察署付近に牧場をつくり、日本牛8頭を飼育して日本人として最初の牛乳搾り業務を始めた。明治期になると宣教師のヘボンやシモンズが牛乳の効用を説き日本人の間にも普及するようになった。

 留吉はその後東京に移り築地に新会社を起こして成功し、吹き上げ御苑で明治天皇にも牛乳搾りを実演してお目にかけたという。なお現在の前田橋を留吉に由来するという説もあるがこれは誤りで、橋の名は旧字名にちなんだものである。

 
 
 

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