中華街を鏡に考える-009.横浜の下水道
- daddy99432you
- 2008年8月24日
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関内外国人居留地一帯には明治初年R.Hブラントンの計画により陶製下水道が敷設されていたが、明治14年(1881)から煉瓦づくりに改造する計画が三田善太郎の設計で着手された。幹線は大中小のコンクリ-トを巻いた煉瓦づくりの卵型管で、要所要所に煉瓦づくりのマンホ-ルや洗浄桝、人造石による雨水桝や汚水桝が設置された。これらの施設のうちで中下水にあたる煉瓦づくり卵型管は山下町の各所で発見されており、開港資料館地下、中土木事務所(山下町246番地)、中部下水処理場などで実際に見ることができる。
煉瓦づくりマンホ-ルは開港広場内に保存展示されている。この煉瓦は東京小菅の東京集治監でつくられたという。
円型は最小の資材で最大の断面積を保ち、また煉瓦をくさび型に配列することで強度が維持できる。これを下部が半径の小さい卵型にしたのはそれだけ流速が早くなり下部に沈殿滞留しやすい汚泥を流し去るのに効果があるからである。ちなみにこの卵型管は南門通りの地下で一部が約20メ-トルにわたって今も使われている
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