川と海から-098.沖から見えるもの(2)
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川と海から-097.根岸の旧家新井氏のおこりについて(築井戸稲荷)
新編武蔵風土記稿には「村の北にあり除地六歩宝積寺持」とある。この地の旧家新井家所蔵文書によると「先祖吉左衛門儀永正十三年七月十一日相州新井城落城のみぎり十七人にて武州久良岐郡根岸の原、築井戸と申す所に蟄居、以後右の所に先祖の宮これ有り。二代目吉右衛門寛永のころ今の海際加所(...
川と海から-096.大聖院・そとわ堂・湾岸の海中出現仏神伝承
根岸駅の正面の山裾の大屋根が根岸山大聖院覚王寺である。開創の由来は定かでないが、阿弥陀の梵字のある室町時代の板碑三基が残されているのでその頃であろう。堀ノ内宝生寺の末で明治初年の学制頒布にともない明治6年にここに「志敬学舎」が設置され飯田桂州を師として30名の子弟が集まった...
川と海から-095.初期の根岸湾の埋立て計画
根岸湾の埋立て計画は明治末にさかのぼる。 中央政界を縁のあった華族奥田直弘が「久良岐郡本牧十二天より根岸村、屏風ケ浦村、金沢村、富岡地先まで」335万4079坪を埋め立てて工業地帯、港湾地帯にしようという大計画で、これは根岸湾埋立て一期二期工事より大きい。日清戦争後の国威発...
川と海から-094.根岸湾の漁業
江戸時代のこの海は江戸城本丸へ御膳用の魚介類を納める役を命じられて、生麦、子安、神奈川、野毛、本牧、根岸、森が「御菜浦七ケ村」とされていた。それぞれの浦に特産品が加えられたが、例えば神奈川からは鯛、野毛からは牡蠣、森からは海鼠などがそれであった。漁民にとって操業のために位置...
川と海から-093.大日本航空の南洋航路飛行艇基地あと
現在の根岸中学校やプ-ルセンタ-のあるあたりから海べり一帯には昭和15年に完成した大日本航空の南洋行き飛行艇の基地があった。日米開戦必至の緊迫した空気の中で、根岸湾一帯の子供たちにとって「97式大型飛行艇」は自慢のタネであった。四つのエンジンを載せた40メ-トル近い巨大な翼...