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「川と海から」-094.根岸湾の漁業

 

 江戸時代のこの海は江戸城本丸へ御膳用の魚介類を納める役を命じられて、生麦、子安、神奈川、野毛、本牧、根岸、森が「御菜浦七ケ村」とされていた。それぞれの浦に特産品が加えられたが、例えば神奈川からは鯛、野毛からは牡蠣、森からは海鼠などがそれであった。漁民にとって操業のために位置確認は大事なことで、遠近二目標を左右二方向に選びその地点を記憶した。これらの目標には次のようなものがあった。

 箱根の二子山、子安の煙突、小柴の突端、鷹取山、和田山の森、多聞院の楠の木、八王子の山、根岸馬頭観音の大木、本牧鼻、真照寺裏山、富岡八幡の森、三渓園の三重の塔、偕楽園裏のハゲ山、夏島、根岸八幡裏山、猿島などがそれである。ランドマ-クを選んで自分の位置をはかることを「山出し」「山あて」と言った。

 この海は遠浅なので魚が卵を産みつけるのに格好の場所で、シャコ、カニ、エビのほかタイやヒラメ、カレイなどが豊富に取れた。砂が細かくて固すぎず質がいいのでアサリの養殖に最適地で貝殻が薄く身が大きい最高の品質であった。埋立て前までは「潮干狩り」の手軽な遊楽地として多くの市民がこの浜辺を楽しんだ。

 話は変わるが、湾内・湾岸の事故での水死人が南風で吹き寄せられ根岸の浜によく上がった。死体の性別は男はうつぶせだし、女は仰向けなのですぐわかったという。船神様は女性なので、女性の死体があがったときは神様に見せない意味で布をかけてやった。水死人を取り上げた船は翌日から大漁がつづくと言われたので熱心に葬ったようである。これはそういう言い伝えをつくることで、躊躇する漁民に死者への礼をつくさせたのであろう。

 

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