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「川と海から」-081.横浜氷会社・

横浜アイスワ-クス跡

 

 市営地下鉄の「元町・中華街駅」は以前日冷の製氷工場があった場所だが、その隣りは明治元年に中川嘉兵衛が「横浜氷会社」をつくった場所である。岸田吟香も彼のパ-トナ-で、その日記「横浜異聞」の明治2年の部分に「元町の中川嘉兵衛さんはふるくよりこゝろやすくする人なり。氷をかこひて暑中にうる事をおもひつき、わたしもなかまになりてその事をいよいよしとげたるは此のはるの事也。奥州のさむい処から氷をとりよせてくらにいれておいて、なつうる也。そのくらの二階と、みせを西洋風の家作にしたるがよほどよく出来たり」とある。嘉兵衛は外国人氷商人と猛烈な商戦を展開し函館五稜郭から切り出した氷で勝利する。その後社名を「横浜アイス・カンパニ-」と変え機械製氷を試みるが失敗し業界から消える。記録によればオランダ人ストルネブリンクが明治14年に、中川の隣のそれ以前にできた工場を落札して横浜アイス・ワ-クスという社名で営業を再開したようである。その後他社に譲渡されたり合併されたりするが関東大震災で全壊し、その後再建され、先日まで日冷で製氷が行われていた。当然ここの湧水が役立ったはずである。

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