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「川と海から」-068.山手の坂

 

 山手丘陵は大きく見れば現在の「港の見える丘公園」を屈折部として南と東に「L」状に伸びている。南側はワシン坂によって小港に下り東側は稲荷坂によって中村・蒔田平地に通じている。丘陵中心部を貫く軸が山手本通りで、この軸線から両側の平地に向かっていくつもの谷戸がありそれぞれが坂道をもって交差しあっている。開港以前は麓の村人たちが農作業のために丘陵の田畑に通う程度の狭い静かな小道であったが居留地誕生、英仏軍隊駐屯、居留ゾ-ンの丘陵への拡大、教会や学校の新設、上層市民の邸宅建設などにより周辺の景観はまったく一変した。吉田新田埋立てによって埋め残された野毛入り江の南側残欠は中村川となり、いまの吉浜橋から谷戸橋にかけては居留地を出島にするための堀川となったが、いずれもその流域は低湿地で欧米人や日本の貿易商人に敬遠され、全国から自らの労働力を資本として新開地に流れこんだ庶民層の占めるところとなった。吉田新田には舗装道路が交差し市電の軌道が敷かれ、商店、小工場、船着き場が建設され、勧工場、芝居小屋、遊廓も徐々ににぎわいを呈し始めたが、新田の平土間は一般観覧席、丘陵の二階・三階は割増し料金の特等席という階層序列は現在にまで及び特にこれは山手外国人居留地の西限の打越橋以東で顕著となっている。

 これらの坂を故小寺篤氏の「横浜の坂」により列挙すれば次の通りである。個別の坂の由来については同書を参照されたい。

 *山羊坂 *牛坂   *大丸坂 *公園坂 *貝殻坂 *陣屋坂 *狸坂 *西坂 

 *土方坂 *高田坂  *額坂  *ビヤ坂 *遊行寺坂 *地蔵坂 *西の坂 

 *代官坂 *南坂   *谷戸坂 *猿坂  *小坂 *汐汲み坂 *箕輪坂 

 *見尻坂 *ワシン坂

 

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