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「川と海から」-058.横浜中心部の図像学

(コ-ヒ-ブレイクとして)

 

  横浜中心部は現在の海岸通り地区の基盤たる州乾の洲や元村(元町地区)を除けば吉田勘兵衛の野毛入り江埋め立て(明暦2年・1656~寛文7年・1667)によって生まれた造成地に建てられた人工都市である。開港の安政5年・1859までの約200年間は殆どが水田と入り江だったが、居留地の建設・全国から雲集した「ひと旗」組によって新しい町並みや都市施設が生まれた。人工的な環境条件と社会的・人為的な凝集作用によて横浜中心部は水面上の油のように一定の図柄を描き出す。現在の市役所付近を座標軸の原点としてX軸・Y軸を取れば都市構造の分析が可能となろう。

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