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「川と海から」-052.車橋と打越橋

 

 今はなき市電の長者町線長者町5丁目から車橋の間に通じたのは昭和2年9月であった。それがさらに山元町にまで伸びたのは翌年8月である。そのために従来の狭い谷の崖を切り開き掘り下げた。この地は山手外国人居留地の地境にあたり、また打越の霊泉でも知られている。分離された人工小峡谷にかけられたのが横浜の名橋といわれる打越橋で、昭和3年3月に上路式ア-チ形式で完成した。鋼ア-チの経間は約21メ-トル、同路面からの高さ約17メ-トル、幅員7.3メ-トル。やや鈍重とも言われるが崖面の石積み擁壁とともに重量感がある。鉄骨は横浜船渠会社(のちの三菱重工業横浜造船所)が製造したものである。地上高があるので完成後にしばしば投身者を誘ったため高欄を1メ-トルから2メ-トルに高くし、さらに忍び返し形式の自殺防止柵を設けた、また共立聖書学院銘の自殺防止板が橋の中央に掲出されているのも特異である。

 

 

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