top of page
磯子区郷土史研究ネットワーク
「川と海から」-049.十全病院
横浜における日本人の手による近代的病院のおこりは明治元年(1868)に野毛山に置かれた「横浜軍陣病院」で、戊辰戦争で負傷した官軍兵士治療を目的としてつくられた。明治7年(1874)に十全医院となり、三井八郎右衛門ら大商人の寄付をもとにアメリカのシモンズ医師を院長に迎えて開業した。医師シモンズはその後回虫駆除薬「セメン圓」を開発普及したことで日本人に広く知られた。
当時の案内書にはこう書かれている。
当病院ハ新鮮美麗ノ家屋ニシテ自■人身健康ヲ得ヘキ地位ニ造営シ患者ノ幸福及ヒ其便宜ニ向テ諸物員ヲ具備スルモノナリ○醫師ハ亜米利加人ノ晒門士ト云此人日本ニ居住スルヤ年既ニ久シ故ニ能ク風儀ニ習慣シ病者ニ對スル至テ懇切ナリ加之ス諸病ヲ治スル其
効舉テ云フヘカラス殊ニ黴毒労■及ヒ眼病等ヲ治スル事極メテ巧ニシテ又外科ニ妙ヲ得タリ○院内ヲ分署シテ二課トス即外来及ヒ入院ナリ外来患者診察ヲ乞ハント欲セハ日曜日ヲ除ク外毎日八時ヨリ十時ノ間ニ来ルヘシ此時間ニ来ル者ハ自在ニ治術ヲ受ルヲ得ルナリ此時限ニ遅レテ来ル者ハ診察セサルニハ非レトモ時限アルヲ以テ丁寧反復スヘカラス但シ遠■ノ者ハ此例ニ非ス最も貧富トモ診察料ヲ出スニ及ハス入院病者ハ昼夜ヲ論セス恣マ丶ニ治療ヲ受ルヲ得ヘシ○入院料一日ニ付薬價共上等金壱圓○中等六十二銭○下等三十七銭五厘
野毛山十全醫院
ここは関東大震災で消滅してしまうが、その後浦舟町に移され、戦時中横浜市立医学専門学校付属十全病院となり、戦後横浜市立大学付属病院となって今日に至っている。
bottom of page