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「川と海から」-047.堤磯右衛門の

石けん工場跡

 

 水道局万世ポンプ場脇に平成6年の南区区制施工50周年を記念して「日本最初の石鹸工場発祥の地」の記念標示板が建てられた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

磯子出身の堤磯右衛門が横須賀製鉄所のフランス化学者ボエルから製法を学び苦心の末に石鹸製造に成功するが、明治6年3月(1873)に本格的生産を始める。そのときの工場がここ当時の三吉町4丁目(現在の万世町2丁目25番地付近)である。初めての国産「堤せっけん」は国内はもとより海外にまで輸出された。ここではまた香水や化粧水などもつくっていた。堤石けんは明治10年の第一回勧業博覧会に出品されて「花紋賞」を受賞、明治26年の「時事新報」主催の優良国産石鹸大衆投票で第一位に選ばれたが、迫り来る不況と競争激化のため経営はだんだん苦しくなって行った。この翌年に磯右衛門は死去、明治26年(1893)ついに廃業するに至った。

 磯右衛門の偉業はハ-ド面で石鹸製造が突出しているが、品川・神奈川の台場建設での土木請け負い、稀代のメモ魔として幕末明治の多くの見聞記録なども大きく評価しなければならない。またこの石鹸工場において日本最初に「就業規則」が制定されたことも特筆大書されるべきである。江戸時代の前から日本では日の出・日没を基準に等間隔で時刻を定める「不定時制」にやよっていたが。これでは季節によって時間の長さが異なるため、西欧にならって年間同じ長さの時間にする「定時制」を採用したのである。これによって作業者の賃金が年間一定となり労働力コストの算定、生産高との比較計量が可能となり明治期経営の原価管理に合理的視点が導入されることになったことは、石鹸製造以上の近代化への貢献として高く評価しなければならない。

 

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