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磯子区郷土史研究ネットワーク
「川と海から」-046.東橋(もと土方橋)
昭和5年(1930)に草津温泉という大衆浴場の二階休憩所を義太夫、琵琶、浪花節など素人への貸席としたのが始まりで、当時は「三吉館」と呼ばれていた。昭和13年ころから大衆演劇が上演されるようになったが、戦争のため昭和18年には閉鎖を余儀なくされた。しかし幸いにも戦災を免れて昭和25年に三吉劇場と改称して復活した。
その後映画の興隆期には三吉東映として映画の上映も行ったが40年代に入りテレビに押されて経営が苦しくなり、ついにそれまでの経営者が営業権を放棄するに至った。そんな時期に下町に育ちで根っから芝居好きの本田玉江さんが経営に乗り出し、横浜唯一の大衆演劇の灯をともし続けてくれることになった。新しい演目がきまると役者たちがこの川を船で上下しながら口上を述べる「船乗り込み」も珍しく中村川の風物詩となっている。桂米丸師匠もここをホ-ムグラウンドにしている。
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