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「川と海から」-036.揮発物貯蔵所

 

 

 横浜開港によってさまざまな商品が陸揚げされたが、取り扱いに困惑したのが揮発性の高い燃料や火薬類であった。

 通関手続きや国内輸送で処理されるまでの間を通常商品とは別に安全場所に保管する必要があった。当時の中村川沿岸は吉田新田埋め立て用の土砂を採ったあとが空地となっていたので、その倉庫として使われた(今の中村小学校、愛児園、高等看護学校のあたり)。

 関東大震災のころにはこのあたりに民家が密集するようになって来ており、ここの保管物が地震と火災で大爆発して周辺を総なめにした。

 また揮発物が中村川に流れ込んで火の川となった(震災後、ここの焼け跡に南吉田小学校、三吉小学校の仮教室が建てられた。揮発物保管の倉庫はこの経験から港からさほど遠くない山にトンネルを掘ることになって、丸山町と掘ノ内の境に丘の地下に設けられ「火薬庫の山」と言われてバラ線で厳重に警戒され、悪童たちにも近寄れなかった。県警職員アパ-トができたころ廃止されたようで今はその面影がない。

 

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