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「川と海から」-033.五三前橋(天神橋)、

岡村天神旧参道と色天神」

 

 

 天神橋のもと島田自転車(いまのロ-ソン)の角から「こんにゃく橋」を渡り刑務所の壁に出て滝頭小学校の脇から一の鳥居に通ずるのが天満宮の参詣路で、毎月25日の祭日には朝早くから参詣の人で賑った。

 天神橋はつくられたころは「五三前橋」といったが、これは「ご参」から来たものであろうか。ここには川船の乗降場があり、中心部からの参詣者は船でこの橋のたもとに着き、ここから参道を徒歩で岡村に急いだ。

 明治35年1月に中村町の小嶋万吉、4月に魚河岸の平林藤吉ほか数名が世話人となって色町中心の天神講ができた。明治45年に市街電車が駿河橋から八幡橋まで開通し天神橋に停留場ができ、次いで祭日には臨時停留場が根岸橋の刑務所の堀の近くにできた。天神さまの土産ものとしては「大野屋の天神煎餅」「吉崎の奈良漬」が有名であった。

 岡村天神がなぜ花柳界の粋すじに信仰され「色天神」と呼ばれたが、その起こりは定かではない。考えて見れば菅原道真が学問の神様とされたのは室町時代の頃からで、それまでは比類なき「怨霊神」であった。それだけに怨霊鎮めにも力があると信じられ、花柳界の女性から見ればまさに怨霊の権化たる旦那の内儀の嫉妬心の「魂鎮め」にご利益があるなどと、人情の機微を捉え宣伝する仕掛け人がいたのではなかろうか。

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