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「川と海から」-030.堀割川入り江跡

 

 堀割川完成以前の八幡川には丘陵や溜め池からの小河川が流入しておりすべて埋立てまたは暗渠となったが、若干のものは護岸石積みの不整合部分やヒュ-ム管でたどることができる。ただこれは右岸側(丸山町側)の平地部分におけるものであって、左岸側(中村町側)では丘陵開削後も稲荷山の崖が迫っていたため水田もなく、したがってさしたる用水路もなかった。

 神奈川ドライビングスク-ルの天神橋側に護岸がV字型に切り込まれた跡が見られるが、明治15年の「迅速図」には耕地は見られず、大正11年の陸地測量部図には小工場に併設された三本の小規模入り江が見られる。現在のV字型切り込みはその頃専用物揚げ場として使われた人工入り江の痕跡である(奥の部分がふくらんでいるのは船の方向転換、船溜まりに便利な工夫であろう)。大震災で工場が全壊したあと復興工事で埋め戻されたのかもしれぬ。

 いずれにせよ堀割川を利用しての荷役は本流の物揚げ場(共用)だけでなく工場専用のものと二種類あったことがわかる。(地図では南から「製材所」「自動車会社」とあるだけで他の二つは工場マ-クだけである。これら工場の名称とともに震災後この位置で復旧したのか移転または廃業したのかも定かでない。ご存じの方にご教示願えれば幸いである。

 また西側の「横浜刑務所」と「揮発物貯庫」の間の平地には東西に伸びる二つの川(沼?)が見える。それぞれ西端は丘陵に接し堀割川に流入しているが、西端丘陵を水源とする河川または湧水が農業用の溜め池となったものであろう。堀割川流入口にそれぞれ橋を持つが、天神橋の北に近接するのが「伊佐衛門橋」と思われる(これも合わせてご教示願いたい)。

 なお天神橋から西南方向に伸びる道路が天神参道だが(16号線からの入り口だけはもとの島田自転車店、いまのコンビニの角から昔のまま斜めにつけられているのでよくわかる)、この溜め池を橋で越えて刑務所西北角に通じている。

 「こんにゃく橋」とはたぶんこの沼に架かっている橋ではあるまいか。沼に接する細長い舌状台地はそのつけ根に切り通し新道ができて堀の内方面と滝頭方面の往来の便がよくなったが、切り通しの東側部分は戦後も長らく残されていた(今はまったく消滅)。

 

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