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「川と海から」-029.同潤会住宅

 

 

 関東大震災と昭和不況期に社会政策として市内各所に低廉な住宅ができたが、その一つが天神参道に面し長く残っていた。

 木造二階建、天井が低く壁の芯も竹でなく葦が入っていた。大工不足のため関西の大工が建てたので関西風二階建一棟4軒が二棟で八世帯6畳と4畳半〈横浜社会事業風土記〉であった。

 関東大震災後、内務省は被災地の住宅難緩和のため震災義援金5,900万円のうち1,000万円をもって「財団法人同潤会」を創立した。1924年(大正13)5月、同潤会は横浜市内において井戸ケ谷住宅412戸、大岡町住宅124戸、滝頭町住宅184戸、新山下町住宅280戸を建設した。小住宅団地には公衆食堂、日用品市場、児童遊園地が併設された。

 また27年11月、同会は平沼町と山下町にサラリ-マン用の「同潤会アパ-ト」(3階建て118戸、158戸、計276戸)を建設した。同アパ-トにも簡易食堂が併設された〈昭和2年版「神奈川県社会事業便覧」〉。同潤会小住宅の家賃は一畳につき78銭から1円23銭まで、アパ-トの家賃は一畳につき1円40銭であり、電灯料・水道・ガス料は入居者の自弁であった。

 なお同じ1924(大正13)年8月には神奈川県も内務省社会局交付の震災義援金78万4千円、半年分の借地料1万4千円をもって庶民用小住宅を市内に1000戸建設し管理を横浜市に委託した(蒔田住宅4地区227戸・西戸部住宅1地区28戸、斉藤分住宅4地区179戸、岡野町住宅2地区123戸、根岸町住宅1地区78戸、北方町住宅1地区18戸、大岡町住宅1地区199戸、久保町住宅1地区48戸)。滝頭から保土ケ谷・藤棚行きの9系統のバスが大岡町に入ると「大岡住宅前」、井戸ケ谷・平戸線には「住宅前」路という奇妙な停留所があるが(住宅前ならどこにでもある)これは「同潤会住宅の前」という意味で当時は珍しかったからである。

 

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