磯子区郷土史研究ネットワーク
「川と海から」-021.
ヘルム・ドックと松山善三・高峰秀子夫妻
堀割川の水面または東岸道路から眺めると現在の磯子住宅の前の16号線道路の一部が不自然に盛り上がっているのがわかる。
ここはかつて「ヘルム・ドック」という木造船の造船所があったところで今も堀割川に向けて水門のあとが見える。水門を入ったところにレ-ルを乗せた斜面があり、その奥の木造の建物でダルマ船や小型鉄船を造ったり修理したりしていた。入り口に制約があるので幅も高さもこれ以上の船は扱えなかった。
明治期の開港地の外国商社に居留地で回漕業や不動産業をやっている「ヘルム・ブラザ-ズ」があった。海岸通りでひところ県警分庁舎として使われていた瀟洒な建物があったが、これはこの会社の外国人向けアパ-ト「ヘルム・ハウス」で、勝新太郎一家が住んでいたことがある。また同社は根岸で不動産業や牧畜業を営んでもいた。「ヘルム・ハウス」で長年働いた人に磯子の小沢まつ子さんという方がいるが、ヘルム入社のきっかけは父親が船大工でこの会社に出入りしていたからというが(読売新聞横浜支局「ランドマ-クが語る神奈川の100年」)、根岸との地縁といいこれといい、「ヘルム・ブラザ-ス」と「ヘルム・ドック」の関係を思わせるものがある。
戦後ここは大入産業という解体者が使用していたが、ここの社長の次男が脚本家で映画監督の松山善三である。松山は旧制県立横浜三中(現緑ケ丘高校)から岩手医専に進んだが映画制作の道に入り木下恵介門下の逸材として名が高く「名もなく貧しく美しく」で知られている。昭和30年には長らく女優と監督の関係にあった高峰秀子を伴侶に迎えた。美空ひばりが第一回広島平和音楽祭で歌った「一本の鉛筆」の作詞者でもある。
この歌は美空ひばりが第一回広島平和蔡でうたったが反戦イメ-ジのためかNHKで放映されることはあまりない。隣町どうしの松山とひばりの合作たるこの歌はまさに磯子区民の歌とも言うべきものではないか。
「川と海から 一本の鉛筆」
松山善三 詞
佐藤 勝 曲
あなたに聞いてもらいたい
あなたに読んでもらいたい
あなたに歌ってもらいたい
あなたに信じてもらいたい
一本の鉛筆があれば
私はあなたへの愛を書く
一本の鉛筆があれば
戦争はいやだと私は書く
あなたに愛を送りたい
あなたに夢を送りたい
あなたに春を送りたい
あなたに世界送りたい
一枚のザラ紙があれば
私は子供がほしいと書く
一枚のザラ紙があれば
あなたを返してと私は書く
一本の鉛筆があれば
八月六日の朝と書く
一本の鉛筆があれば
人間のいのちと私は書く
昭和四十九年八月九日、 第一回広島音楽祭で美空ひばりが歌う