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「川と海から」-016.滝頭波止場

 

 

 湾内で操業する漁船が風浪の激しいときに避難する場所として堀割川の先端に波止場が建設された。

 ここは水運の便がよいので湾内 漁業の水揚げ場が集まり7~8軒の魚問屋が並んでいた。そのころの漁獲物としてはイワシ、コノシロ、アジ、アサリなどの小物が主であ った。船便は房総とも往来が多く、炭、米、薪などを積んできた。八幡橋の近くには船頭たちのための船宿「黒川屋」があった。

 磯子から森・杉田方面に行くには、明治11年に間坂に山川トンネルができるまでは不便な山越えをしなければならず、ここから森まで渡し舟が出た。杉田梅林の梅見の時期になると船客が増え、聖天橋まで臨時に運行して賑った。富岡に別荘を構えた明治の政財界の大物たちもここから船で富岡に渡ったのである。

 波止場の先端に河口への防波堤として「亀の子島」という独立した小さな島があり、長いあいだ根 岸周辺の子供たちの水泳場であった  

 

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