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「川と海から」-015.

掘割川周辺の中小工場群など

 

 

 明治3年に始まり7年に完成した「根岸堀割川」の工事は前述の通り三つの目的をもっていた。

 

①稲荷山・弥八ケ谷戸の削平と旧八幡川の開削拡幅によって生じた膨大な土砂をもって、湿地だった横浜新田「一つ目の沼」の「かさ上げ」をする(この結果出来たのが、翁町、扇町、寿町、松影町、不老町、万代町、吉浜町、蓬莱町の「埋地八か町」である。現在でも「埋地七カ町連合町内会」をつくっているが、八が七になったのは、現在大通り公園になった新吉田川がその後にできて蓬莱町だけが川向こうとなり、他の町との一体感が薄れたためである)。

 

②これまで横浜中心部と杉田、金沢方面の水運は本牧の鼻の沖合いを通らねばならなかったが、ここには「中の瀬」という難所があって多くの船頭が難儀した。内陸部に安全で距離の短い水路をつくりたい。

 

③水路ならびに付設道路によってこれまで未開拓だった滝頭、磯子方面への往来が容易となり、住宅、工場その他施設の用地が確保できる。この三番目の結果として沿岸の開発が進み、次項以下の工場や施設が誕生した。

 

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