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「川と海から」-100.ガタクリ馬車と「立場」

 

 明治35年に宮内利七という人が駿河橋から間坂トンネルを経由して杉田まで乗合馬車の運行を初めた。明治39年に市街電車が八幡橋まで延伸されると45年にここから杉田までこの乗り合い馬車が活躍した。

 現在の磯子警察前の小川ベ-カリ-のところが発着所(立場)で杉田まで往来した。ここにはいつも4~5台の馬車が客待ちしていたという。立場とは江戸時代からの「人馬継ぎ立て場」の継承で街道往来の旅人に籠篭や馬を提供する場所のことで一定区間ごとに乗り換える場所のことである(現在も各地に地名として残っている)。

 磯子から杉田までの馬車は道路が悪いので通称「ガタクリ馬車」と言ったが、写真も絵図も残っていないので内容は不明で根岸の馬の博物館でもわからない。「磯子の史話」記載の想像図を掲げておく。今の16号線あたりは海岸で区役所あたりには丘陵が海岸に迫って道路が途切れていたため馬車は旧道から森に向かった。間坂交番のあたりに磯子の素封家山川翁が自費でトンネルを設けで便に供した。これを山川トンネルと言ったが狭隘のため県費で別のトンネル(県営間坂ンネル)を堀り、今のプリンスホテル登坂の入口あたりに通ずるようにした。

 

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