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磯子区郷土史研究ネットワーク
「川と海から」-009.根岸湾保養地
風光明媚な根岸湾沿岸台地は気候温暖でオゾンに富み、絶好の保養地であった。明治大正を通じて横浜中心部の発展につれここに邸宅や別荘を構える裕福な日本人や外国商人の邸宅が進出し、特に台地南面に連なった。また海沿いには料亭や割烹旅館も増えてきた。
当時の難病であった肺結核には転地療養が最も効果ありとされていたが、ここの海岸丘陵はその好適地とされてサナトリウム・病院が新設された。今も残る間門の「港南病院」、根岸の「日赤根岸病院(今は移転)」はその頃の結核治療に由来するものである。ちなみに磯子の「旧プリンスホテル」は旧皇族から臣籍に降下した東伏見邦英伯爵の別邸あとだが、別邸がこの丘の上に設けられたのも伯爵の肺結核療養のためであった。
根岸小学校は全国でも最も早い時期に学校医の制度を導入したことで知られる。校医は日赤の実質的創設者でこの地で長年結核の治療にあたった大村民蔵氏(神奈川文化賞受賞)である。
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