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「川と海から」-007.大竹屋あと

(パ-ル・レストラン)

 

 

 

 滝頭八幡宮の向かいの八幡橋幼稚園のところに幕末明治にかけて「大竹屋」という茶店があった。ここは山手居留地から不動坂を経由する「外人遊歩道」の終点で、根岸掘割川沿いの新道(当時のメイン道路は現在の16号線ではなく川の東側の道であった)に合流する絶好の立地条件にあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 掘割川の先端に設けられた石積み波止場の石垣からは天然の牡蠣が取れたが、これにレモンをしぼって生で食べる方法を知った店の人たちがこれを看板にし遠乗りの外国人たちに供して喜ばれた。天然の牡蠣で間に合わないほど繁盛し生け簀で養殖もした。

 山手の洋館をまねた二階建てでブル-のペンキを塗られた壁と洋風の窓が美しく、「パ-ル・レストラン」の名で有名になった。床は外国人が靴のまま入れるように板張りであった。ここからは黒船以来アメリカ人に「ミシシッピィ・ベイ」と呼ばれた根岸湾も一望のもとに見渡すことができた。アメリカのミシシッピィ河の河口付近の景色に似ているとの説があるが、大平野部の河口付近と給料が連なるこの地との景色の類似はありえない。ペルリ来日のときの旗艦「ミシシッピィ号」の名を記念したものであろう。

 その後の交通機関の発達で外国人客は伊豆・箱根方面に足を伸ばすようになり、明治37~38年を最盛期として大竹屋の客は減る。関東大震災で他の建物同様ここも崩壊した。

 

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