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「川と海から」-002.八幡橋の親柱

 

 

 

 

 市内河川に現存する橋の多くは関東大震災後の復旧事業として建設されたもので、復興局の執行分37橋、横浜市の執行分41橋であった。短期間に集中工事をするため構造は数種類に限定されたが、外観にはさまざまな意匠が採り入れられて都市景観を豊かにした。

 大正デモクラシ-で開花した文化主義の時代風潮を反映し、物理的構造物の橋梁にも美的センスを持たせたが、付属物たる危険防止の高欄(手すり)や橋のたもとの親柱にも「顔」としての意味を持たせた。表現派風、ア-ルデコ風、構成主義風、古典主義風とまさに百花繚乱の感がある。経費節減のためか主として東京美術学校の学生たちに自由にデザインさせたもので、現在その名をとどめていないのが残念である。

 八幡橋の親柱はその中の優品の一つでア-ルデコ風のデザインはニュ-ヨ-クのクライスラ-ビルを思わせる。(トップクラスの吉田橋のそれが旧横浜小学校、現港中の正門として残っているのが嬉しい)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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