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磯子区郷土史研究ネットワーク
「川と海から」-087.外防波堤と二つの灯台
内防波堤の完成後も新規築港計画がつぎつぎ進み、明治後期から大正前期にかけては新港埠頭が完成した。第一次世界大戦をはさんでその利用船舶の増大、大型化という新課題をクリアすべく第三次の築港計画が立案された。しかしその間に関東大震災があり復旧と新都市計画のため港湾計画も大幅に修正され、大正年になって中断していた第三次計画が実施された。1930年代に入って、山内埠頭、高島埠頭、ついで瑞穂埠頭の工事がはじまり、昭和元年(1926)には外防波堤建設、市営埋立を含む第四次計画が策定された。防波堤工事は第三次に組み込まれて施工されたが、これまでの内防波堤の外側に新たな投錨地を設けようとするもので、本牧十二天鼻と鶴見川河口を結ぶ直線上に2274メ-トルに及ぶ二基の防波堤を建設し、昭和12年(1937)に完成した。防波堤の先端に設けられた赤白一対の鉄筋コンクリ-ト灯台は今も健在であるが、両方に伸びる水堤は、北側は大黒埠頭に、南側は本牧埠頭に取り込まれてしまって、ごくわずかな部分しか観察することができない。円筒形の塔屋の上のトンガリ帽子が内防波堤のそれと違って愛らしい風情である。往時の桟橋からはこの外防波堤は内防波堤に遮ぎられて眺めることができず、山下公園あたりからはるか遠くに霞んで見えた。
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