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「川と海から」-141.朝鮮人労務者による

                    地下工場

 

 市立夏島小学校南側の丘陵内部に高さ3メ-トルから5.5メ-トル、幅3メ-トルから5.6メ-トルの通路が何本も碁盤目のように張りめぐらされている。コンクリ-トは使われず岩盤がむき出しのままである。今でもトロッコの枕木跡、線路やカ-ブ跡が残り、食堂と思われる広い部屋状の部分には食器のかけらが散乱している。当時の多くの出入り口や換気口はすべてふさがれ、現在開口部は2カ所だけとなった。ここと海軍基地内は総延長は13キロメ-トルに及び長野県松代大本営に匹敵する国内最大規模の地下壕とされている。浦郷に抜けるトンネルの手前に入口の一つが見える(もう一つは夏島小学校の裏手にある)。

 朝鮮人連行真相調査団の調査で、戦争末期にはこの周辺に飯場が密集し多くの朝鮮人がいたことがわかった。毎朝点呼の声がし、夜はアリランの歌が聞こえたとの証言もある。米軍戦略爆撃調査団の報告書に「海軍第一航空技術廠はジェット発動機などを生産するための約3万5千平方米の地下壕を持っていた」とあるが、この地のことと推定されている。「ジェット発動機」とは前記特攻兵器「桜花」に使用されたものである。昭和18年3月現在の旧内務省資料などによれば、県内の強制連行数はわかっているだけで土木、鉄鋼、造船関係を中心に6118人、家族ごと連行されたり呼び寄せられたりして海軍建設部や民間建設会社に徴用されていた。市立夏島小、長浦小、武山小、鶴久保小など市内4小学校には朝鮮人労働者の子息とみられる児童339人分の学籍簿、除籍簿が保管されており、武山小学校の分には朝鮮人保護者の職業の9割以が土木関係と記載されている。

 生存者の証言では作業は2交代制で一日12時間の労働、賃金は半月で手取り7~80円、休みは返上、外出には監視の目が光り、刑務所と同じだったと言う。県内ではここ浦郷のほか池子弾薬庫、相模ダムなどが朝鮮人強制労働の地として知られている。

 なお横須賀米軍基地内部にも延長大規模の巨大な地下壕があり、一部は米軍によって整備され朝鮮戦争のときには地下司令部として使われていたという。基地内部のため日本側の調査は及んでいない。ちなみに戦時中の地下壕の最大のものは長野県松代の大本営と天皇玉座移転用につくられたもので、ここでも多くの朝鮮人が酷使された。

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