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「川と海から」-130.

初期「海浜リゾ-トエリア・高級別荘地」

としての富岡海岸

 

富岡海岸は古くから風光明媚の地で、明治以降中央の貴紳顕官、財界指導者、芸術家たちがここで清遊したり別邸を構えたりした。富岡八幡宮近くの金波楼や海宝楼は彼らの好んだ大料亭であった。

 

富岡に邸宅を持っていた者

◆三條実美‥‥‥尊攘倒幕派の筆頭公卿、公爵・右大臣・太政大臣。

◆田中不二麿‥‥‥文部大丞、司法卿、司法大臣、枢密顧問官。

◆松方正義‥‥‥薩摩出身・民部大丞、大蔵大輔、大蔵大臣、首相、地租改正・殖産興業、紙幣整理、日銀創設、財政改革などに努力。

◆松方幸次郎‥‥‥松方正義の子。美術品を集め「松方コレクション」で知られる。

◆井上馨‥‥‥長州出身。外国事務掛、会計官判事、造幣頭、大蔵・民部大丞、大蔵大輔。参議。工部卿、外務卿として条約改正。欧化政策推進。伊藤の憲法草案作成を助ける。

 

金波楼常連の貴紳顕官(長期滞在者)

◆伊藤博文‥‥長州出身。明治の元勲、首相・公爵(組閣4回)、初代枢密院議長、初代貴族院議長、冨岡の野本作左衛門家を借りて旧憲法起草に着手するが、のち夏島に移り完成成。ハルピンで安重根により暗殺。

◆金子堅太郎‥‥‥伯爵、伊藤の憲法草案作成を助ける。日露戦争当時の戦時外交家。米国に特派され日露講和に功あり。洲崎の「憲法早創之処」碑題を揮毫。

◆伊東己代治‥‥‥農商務大臣・枢密顧問官、伊藤の憲法草案作成を助ける。夏島憲法碑を揮毫。

◆大鳥圭介‥‥‥播磨で身・旧幕臣。歩兵奉行、戊辰戦争では榎本武揚の艦隊と合流して函館で陸軍奉行として抗戦。維新後新政府に出仕、枢密顧問官。工部大学長、学習院院長鳥尾小弥太‥‥‥陸軍中将。明治20年頃、冨岡持明院で静養。

◆谷干城‥‥‥土佐出身。西郷と倒幕の秘盟を結ぶ。西南戦争で西郷軍に包囲された熊本鎮司令官。陸軍中将・農商務大臣。

その後邸宅を構えた有力者

◆福沢諭吉子女・孫‥‥‥京急冨岡駅の東側に孫の辰三が、西側に娘房子とその子駒吉(辰三の兄)が住んでいた。

◆田沼太右衛門‥‥‥‥‥横浜の実業家・県議。日本人による女学校開設に奔走。横浜高等女学校を創設(現横浜学園)。海宝楼の跡地に家を構える。

◆佐藤繁次郎(別項)‥‥文寿堂社長。富岡八幡に隣接して別荘を構える。戦後ここで国務大臣金森徳次郎が新憲法草案を執筆した。

 

富岡芸術村

◆川合玉堂(大正6年~昭和7年)・冨岡駅東側に「二松庵」が現存し公開中。

◆直木三十五(昭和8~9年)・住居地だった慶珊寺裏の文学碑は署名だけが自筆。碑文は佐々木茂策。

◆吉川英治(昭和7年頃)寺前の農家を借りる予定だった。

◆鏑木清方(大正8年~昭和14年)・君ケ崎東北の丘に「遊心庵」があった。

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