top of page

「川と海から」-126.直木三十五文学碑

 

 直木賞に名を残す昭和初期の売れっ子作家直木三十五(本名植村宗一)は昭和8年12月にこの地に移住したが脊髄カリエスの滋持病が悪化、翌9年2月24日結核性脳膜炎を引き起こし病没した。当代きっての流行作家で薩摩藩のお由良騒動を主題とする「南国太平記」で大当たりを取った。従来の講談本の世界だった題材だったが一挙に読者層を広げた。文学碑は昭和35年10月6日に寺の奥のもとの住居近くに遺蹟記念事業委員会(委員長大仏次郎)により建設された。

 彼の随筆「恋は短く貧乏は長し」の「恋」を「芸術」に置き換え「芸術は短く貧乏は長し」(セネカともヒポクラテスとも言われる「アルス・ロンガ・ヴィタ・ブレビス」のパロディも兼ねたものである)とし、文字は文芸春秋社社長佐々木茂索が書き署名だけが彼の筆跡を用いた。設計は横浜美術懇話会の吉原慎一郎である。この警句は確かに皮肉屋の彼が言いそうなものではあるが、本人が実際に言いもしないでない文句が他人の筆跡で碑面に残されるのは奇妙なことである。

 直木賞は彼の親友菊池寛が彼を大衆文学の雄とし記念して設定したもので、芥川賞と並ぶ文壇登龍門になっており受賞を目指す作家の姿をよく見る。毎年の命日にはここと墓所の長昌寺で代表作から忌日名を取った「南国忌」が行われている。

bottom of page