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「川と海から」-124.豊島刑部・

江戸城の刃傷第一号

 

 江戸期の富岡1700石の領主豊島刑部明重が仲人として大阪の島田越前守の息女と井上主計頭正就の子息との婚儀を整えたところ、井上主計は権勢比類なき春日局の意図で上意と称して破談にし上位の大名の娘に乗り換えた。武士の面目を失した豊島刑部は寛永5年殿中で井上主計を刺し、後ろから自分を抱き留めた青木小左衛門をもわが身もろとも田楽刺しにして命を絶った。浅野匠頭の刃傷の73年前のことだが、多くの武士は春日局の権勢への反感もあって豊島の行為を讚えた。豊島家はこの事件の結果あと継ぎの幼児も殺されお家断絶となった。慶珊寺には父子の立派な供養塔がある。

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