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磯子区郷土史研究ネットワーク
「川と海から」-115.旧磯子料亭街跡・
偕楽園と関東大震災犠牲者の碑
現在の磯子区役所は埋立て前に浜小学校があった場所だが、その南側の海岸沿いに偕楽園・藤屋・田舎家・雨月荘という料亭が並んでいた。
その中の一番大きな料亭が偕楽園で、バスが16号線から曲がって駅前に入るあたりの「磯子アイランド」のところである。一部は海水浴場として市民に解放されていたので夏には大人や子供で賑わった。立派な松に囲まれた瓦葺きの二階家の偕楽園は大正時代からの磯子最大の料亭だったが、大正12年の関東大震災では海べりまで張り出していた断崖(今のプリンスホテルのあるところ)が崩れ従業員数名が亡くなった(これらの方の慰霊碑が磯子の金蔵院にある)。
戦時中は横須賀や富岡の海軍御用の料理屋として繁盛した。内地が無事なころは国を守る軍人の特権として許されたかもしれないが空襲が始まり内地も戦場に変わらなくなりすべての国民が飢えているのに、ここにはあいかわらず酒や米や肉がふんだんに運びこまれ宴会が続ていた(当時磯子花街から呼ばれていた芸者衆の話)。偕楽園は戦後は一時米軍クラブとして接収されていたが、その後海岸の埋立て工事が始るとホコリや騒音がひどくなり、昭和43年に公団に売却して栄華の夢が消えた。
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