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「川と海から」-113.汐見台周辺の遺跡群

 

 汐見台団地は昭和30年から6年の歳月と100億円をかけ根岸湾埋立地への企業誘致に応じた企業従業員の宿舎ならびに一般市民居住地として建設された市域初期の大規模造成だが、この結果工事範囲内部の遺跡のすべてが破壊された。造成前は山林が約50%、農地44%、国有地6%で、農地のうち水田は4万9千平方mたらずで浜小学校前から岡村にいたる道沿いと日本石油社宅やガソリンスタンド付近まででリアカ-も通れないところだった(昭和58年3月26日発行「汐見台の歴史」)。埋立地への企業誘致のうたい文句「地元での雇用の促進」も進出企業の省力化によって空洞化となり、団地内の大手企業の社宅は殆どマンション業者に転売された。

 かつての遺跡は下記の通りで出土品の主たるものが汐見台会館の二階展示ケ-スに収められているが参観者は稀である。このあたりの出品は縄文前期から中期にかけてのものがあり、岡村の三殿台遺跡より若干古い。横須賀の夏島・野島の縄文早期出土品とあわせて考えると、この地域への縄文文化はまず黒潮に乗って南部海浜地域の丘陵に伝播し、それが徐々に北上したのではなかろうか。

 

【平台遺跡・大塚遺跡】汐見台1-3丁目から上大岡2丁目

県住宅公社3901号棟前にあり汐見台配水場で切り取られた部分が標高94メ-トルの最高地点で大塚とも遠見塚ともいった。正式な調査がされていないので古墳かどうかは不明のままである。昭和36年(1961)に県住宅公社の造成時に発掘された。縄文中期の加曽利式土器、土錘、石棒(長さ47cm、経12cmあり丸く加工された優秀品で呪術か祭祀のための用具と思われる)などが出土。

 

【赤穂原遺跡】汐見台1丁目

旧汐見台ストア周辺で開発前は禅馬川水源地からの用水を利用する水田があった。

昭和33年に台地斜面の小発掘が行われ撚糸文土器群の大浦山式土器が礫器とともに大量に発見され、その上層からは縄文中期の土器、下層からは大浦山式土器より古い夏島土器(戦後炭素同位元素の残留放射能検査で9000年前の土器と判明)が出土した。

 

【紅取遺跡】磯子台

磯子プリンスホテルの駐車場一帯を字紅取といい磯子からの「かまくら道」が走っていた。古くからまとまった量の夏島式土器や礫器や縄文早期の終わりころの条痕文土器片がが採集されていたが(土器片514点中511点が縄文早期から中期にかけての撚糸文土器)、昭和30年代ミニゴルフ場造成により消滅した。その後遺物を含む土層が残された僅かな範囲を県立博物館の手で発掘され、撚糸文土器群中の土器片・打製石斧・磨製石斧・磨石・スタンプ型石器などが出土した。

 

【佐藤内遺跡】森町

標高60mの台地上にあり県立博物館が昭和44年に発掘調査しましたが、120平方mほどの小規模規模調査だったため集落全体の様子を明らかにすることができまなかった。

 

【平台遺跡】汐見台1丁目

赤穂原遺跡と同じ台地上にあり縄文中期の竪穴住居址が確認されている。

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