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「川と海から」-112.ひばり御殿跡

 

 滝頭の屋根なし市場の「魚増」の加藤和枝は「美空ひばり」となり、デビュ-した昭和24年の年収が60万円であったが25年には150万円、26年には500万円、27年には1200万円とうなぎのぼりに上がっいた。ちなみに昭和27年の大卒銀行員の初任給が月6000円のころである。旧友愛病院前の和風新宅もこの収入にはふさわしくなくなり、磯子町間坂1134番地に豪邸を完成させた。世に言う「ひばり御殿」である。敷地900坪近く、建坪は106坪。15部屋もある二階建てであった。庭の滝は深い井戸から汲み上げた水を落とし、専用プ-ルまであった。16号線を通る観光バスのガイド嬢は丘の上の豪邸を指して長々と説明するのが常であった。

 しかしこのころ栄華の極みの一家には不吉な雲が漂いはじめていた。父親増吉の女道楽と弟益夫の悪の道への転落である。「一卵性母子」と評された母親喜美枝は、ひばりを「お嬢」と呼んでステ-ジママに熱中し、夫や他の子供に目配りするような器量はなかった。全国的なひばりへの熱狂的賛歌の中で生地に近づけば近づくほどその見方がク-ルになるのも、この一家の「なりあがり性」を隣人として知り過ぎているからであって、あながち成功者への嫉妬ばかりではない。

 ひばりの天賦の才に比べあまりにもギャップのある家族の市民的日常はひばりのためにも惜しいことである。

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