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「川と海から」-109葦名橋・安藤橋

 

 明治32年から大正2年にかけて「森」から「浜」のあたりまで埋め立て工事をしたのが間坂に住んでいた土木請負業の葦名金之助である。

 資金を提供したのは東京の建設業者安藤庄太郎だった。葦名・安藤の両氏は河川の改修工事もしたが二人の名は葦名橋公園に葦名橋の親柱として、また元NTT磯子支店前のコンビニ横に安藤橋の親柱として残っている。それらの橋のあった川はいずれも暗渠となり痕跡を留めていない。葦名氏はさらに「間坂」から「浜」までを第二期工事、ついで浜から磯子警察署のあたりまでを昭和の始めに埋め立てた。安藤氏の安藤組は現在でも安藤建設として地元に残っている。

 葦名氏は開発事業以外にも地域のため尽力し、記録によれば明治44年3月には市会議員だった氏は杉田妙法寺の梅の木を移転したり保護したり観梅客のための道路整備に当たったりしている。また「磯子二業組合」の組合長ともなった。前記のように八幡橋の滝頭八幡神社の境内に大きな鉄ボ-ルを乗せた台があるが、これは昭和天皇の「御大典記念碑」で御大典(即位)の年昭和2年に奉献されたもので、その台座に「磯子二業組合長・磯子芸妓組合長・葦名金之助」の名を残している。事業家であるとともに当時の粋人でもあったのだろう。

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