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「川と海から」-105.堤磯右衛門旧宅

 

 磯子旧道を少し入った右手に旧家の堤家があるが磯子の有名人堤磯右衛門の旧宅である。江戸期の磯子村は旗本小浜志摩守と星合摂津守の相給(複数の旗本の知行地)で、堤家は星合支配下で村役人を勤めた。石鹸製造が有名だがそれ以外に土木工事請負でも知られ、お台場や横須賀製鉄所の工事で知られている。

 これ工事のため全国から作業者が集まり区内とその周辺の丘陵から土丹石を大量に切り出した(土丹石というのは「土壇石」の転と思われ、地層下部の不透水性土質の岩のことである)。磯右衛門を磯子村名主とする本が多いが百姓代・年寄(いずれも村役人と一括される)だったと思われる。稀代のメモ魔で黒船来航のころの観察記録(懐中控)はスケッチ画もあって貴重な資料である。

 石鹸製造所の記録文書も貴重だがその中に「就業規則」は長い間の不定時制から定時制に変換した日本最初のものである。これによって労働が定量的に把握され生産と有機的に接点が可能となった。

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