top of page

「川と海から」-104.浜マ-ケット

 

 区内で戦後めざましい発展したマ-ケットだが、戦時中の疎開でできた空地に戦後いつの間にか食料品その他日用品を商う露店商が集まり誕生したヤミ市が発端で、現在も盛業中である。一説に戦時中岡村方面からの戦車を通すための道路だったというが、岡村に戦車はいなかったし戦車往来の必要などなかったし、磯子小学校付近の禅馬川は暗渠で戦車の重量に耐えるはずがない。

 いずれにせよ、この頃は市内各所にここと同じような「フリ-マ-ケットができたが厳重な価格統制時代で、法の規制を潜る意味で「ヤミ市」と呼ばれた。しかし物資はあちこちの産地から「かつぎ屋」とと呼ばれる人たちが搬入するので豊富だった。昭和23年には武装警官隊が杉田・金沢・磯子の各マ-ケットを急襲して生鮮食料品を多数押収した。市内各地り商店街の多くは敗戦直後のヤミ市がそのまま成長したところが多い。

bottom of page