top of page

山の手散策-032.山手貝塚

 

 外人墓地の最北端(最低地)で生麦事件犠牲者リチャ-ドソンの墓地から左手にあがり横浜気象台から外人墓地正門に続く坂が見尻坂(急勾配で先の人の尻ばかり目につく)で、右手に曲がり料亭「梅林」の前から管理事務所の左を上がる坂道が「貝殻坂」である。

 貝殻とは言うまでもなくここに貝塚があったしるしで、残念ながら今はこの道のどこを見ても露頭していない。見尻坂を測候所に向かって昇りはじめた左手を注意深く見れば貝殻の破片に気づくかもしれない。雑草に覆われた表土を少し掘れば必ず貝の層に行き着くはずだが、ファッション全盛の元町の人たちがそんなことをするわけもない。

 昔元町SS会の幹部に元町のアイデンティティPRに「縄文の昔から宇宙の未来まで」というコピ-はどうか、と話したが一笑に付されてしまった。浩瀚な「中区史」がなんの注釈もなしに「中区開港史」にとどまっているのと同様、この周辺を覆う近代至上主義の結果はかくのごとくし。横浜市の予算も東京ギャルのもたらす経済効果をねらって山手本通りの洋館再現にしか目が行かない。先学の努力を後世に伝えるため石野瑛先生の「神奈川県大観・横浜川崎篇(昭和28年武相出版社)」から若干引用しておく。

 

*金刀比羅社裏(元町一丁目)縄文時代貝塚    加曽利E式土器・堀之内式土器、石器(凹石)

*異人坂(山手外人墓地)縄文時代貝塚・包含地 加曽利E式土器・堀之内式土器

            (松下胤信「横浜市中区山手貝塚調査概報・昭和8年」)

bottom of page