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山の手散策-023.西洋塗装発祥地の碑

 

 特にこの場所と特定できないにもかかわらず「横浜もののはじめ」として建立された碑がこの塗装業碑と、もうひとつ谷戸坂にあるクリ-ニング発祥記念碑である。

 

 碑文にいわく。

 「本邦における近代塗装業の由来を尋ぬるに嘉永六年正月米艦来航に際し米国使節接見のため神奈川宿に交易談判場を急設してこれに洋風塗装を施工したことに始まる。幕府はこの工事を江戸の住人渋塗職町田辰五郎に命じた。命を受けた彼にとって洋風塗装は全く最初の試練であった。彼は苦心研究の末在来の色胡粉に桐または荏油をもって艶出しを施したが成果は甚だしく予期に反した。ここにおいて人を介し資材を米艦に需め塗装を外人職工に学び遂に同年二月六日邦人最初のペンキ塗装を完成した。彼は功により資材買人の特権を与えられ居を横浜大田屋新田に移し鋭意精励外国公館貿易商舎等の塗装に貢献する処多大であった。洋館建築の増設に伴い同業者は横浜を中心として全国各地に輩出し斯界は急速の進歩を遂げたが多くは彼の系統に繋がるものである。 現下わが国塗装界の情勢は各種の建築物を初め調度装飾に至るまで著しき伸長を示し今や外国を凌ぐの隆昌を見るに至った。これひとえに先人並びに関係業者の研鑽努力の賜物で邦家興業のため慶賀に耐えぬところである。本年横浜開港百年祭機とし塗装業者の発企によりわが国塗装発祥の地横浜のこの景勝地を相し記念碑を創設して斯界先輩の業績を景仰し且これを顕彰するとともに将来業界の進運に期せんとする洵に意義深しと言うべきである。前元町学校長金子馨撰文 飯泉金次郎書」 名誉会長県知事内山岩太郎、名誉副会長横浜市長平沼亮三、横浜商工会議所会頭半井清、顧問米国領事某 昭和33年5月3日

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