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中華街を鏡に考える-016.関帝廟

 

 劉備・張飛とともに「三国志」の英雄として知られた関羽(関公、関帝とも言う)の生誕記念日にあたる1990年(平成2年)8月14日、積年の念願だった関帝廟が装いも新たに再建された。北京や台湾から専門の職人を招き3年がかりで完成したものである。建物全体に金箔をふんだんに使い、屋根は瑠璃瓦で葺いている。白い雲竜石の一枚岩でつくられた階段には細かい竜の細工が彫られ、屋根にもガラス細工の竜が躍っている。

 最初の関帝廟は明治6年創建で明治24年にレンガづくりの本格的な廟ができた。関東大震災、横浜大空襲の二度の被災にめげず昭和21年に復元されたが、これも昭和61年の火災で消失という悲劇を重ねてきた。日本国内で関帝廟のあるのは函館と横浜の二か所だけである。明・清時代の南方の廟堂形式を持つこの廟は困難を乗り越え中国文化を継承する横浜中華街の象徴であり精神的中核となっている。

 お参りのしかたとしては、まず5本の線香に火をつけ、本殿の外にある1から5までの香炉に順番に供えて身を清める。本殿では、中央の関聖帝君、左の地母娘娘、右の観音菩薩、右斜め後ろの福徳正神の順に参拝する。神前にひざまづいて合掌し、住所・氏名・生年月日を告げて、それぞれの神様に願い事をする。

 関羽は日本人には武勇の英雄としてしか知られていないが、蓄財の才能にたけてソロバンや売り掛け帳を発明したところから商売の神様としても崇拝を集めている。中華街の店には今でも関羽とソロバンを店頭に飾っている店がある。

 

 

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