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中華街を鏡に考える-008.

加賀町・薩摩町だけ残して山下町に

 

 現在の「加賀町警察署」、バス停「薩摩町」にだけ残ったが、この中華街一帯は居留地時代には日本全国の国や町の名が採用された。歴史の古い町にある「寺町」「銀座」「鉄砲町」「鍛冶町」「呉服町」「木挽町」「伝馬町」「城山」などの名はこの歴史の薄い町にはありえない。

 また、その名のもとになった地方からここへの移住者が多かったというわけではなく、かなり恣意的に命名された。駿河町、尾張町、豊後町、阿波町、越後町、武蔵町、蝦夷町などのような江戸時代以前の「国名」もあれば、神戸町、京町、大阪町、琵琶町、前橋町、函館町、上田町、九州町、長崎町、富士山町、浪花町などのように有名な都市や町の名を持って来たのである。他国から借用したのは江戸期に熟読された「国尽くし」で周知だったという理由とともに横浜を日本全国のセンタ-としたい気負いが感じられる。

 開港後の都市化に伴い横浜の行政担当者は新開地の町名選定にはいろいろ苦労したようだが、現在は廃町になった町名を含めると次のようにいくつかの基準があきらかになる。

 

「謡曲・百人一首・古典・俗謡など周知の語句から取ったもの」

 相生、常盤、尾上、真砂、住吉、末広、羽衣、曙、翁、扇、高根、白妙、入船、浦舟、高砂、二葉、吉野、足曳、久方、蓬莱、若松、梅ケ枝、雲井、花咲、など

 

「富貴栄達に関係した縁起語から取ったもの」

 福富、蓬莱、末吉、弥生、若葉、万代、不老、寿、松影、長者、千歳、山吹、真金、永楽、小宝、小松、福長、松ケ枝、姿見、若竹、雲井、賑、黄金、日ノ出、吉浜、初音、三吉、など

 

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