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中華街を鏡に考える-006.

中華街の道路はなぜ斜めか?

 

 中区の地図を見ると、ほとんどが山下公園の海岸線とJR根岸線に平行・直行の碁盤目で区画されているが、中華街のある四角形の部分が周囲と45度斜めにレイアウトされている。いったんこのブロックの中に入ってしまえばその内部は碁盤目で迷うことはないが、そこから外部に出るときに方角がわからなくなる。初期中国人が意図的に道路配置をしたとか風水説に基づくとかの説があるが、これはまちがいで、ここには横浜中心部埋立の歴史的背景が潜んでいるのである。

 別添図のように、江戸中期の吉田新田埋め立ての頃まで「野毛入江」が深く入り込んでいたいて、これを今の元町あたりから伸びた「周乾の州」が取り囲んでいた。今の日の出町~長者町五丁目~車橋までの防波堤「八丁縄手」から関内一帯がまだ海だったころ最初に埋め立てられたのが「周乾の州」の付け根とも言うべき部分で、文化年間に「村請け新田」として工事が行われ「横浜新田」と命名された。

 この部分に入江側に沿って、またそれに直交して縦横の道ができた。入り江の斜線が現在の中華街の骨格となっているのである。ちなみに中華街から海岸通りの「番地」は居留地時代からまったく変わっていないので、明治・大正の文献に「居留地何番」とあってもそれは現在の山下町の同番地であるから現在でも場所の確定は容易である。

 

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