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中華街を鏡に考える-005.

革命の父孫文と横浜

 

 現代中国で政治的立場のちがいを越え最も崇拝されているのが孫文である。孫文の指導のもとに辛亥革命が成功し中華民国が誕生(アジアで最初の共和国である)したが、その中には早くも左右の路線の違いからの対立を含んでいた。その後の日本軍部の大陸侵攻への戦略的配慮から何回かの国共合作が行われたが、いずれも方便でしかなく、中国共産党が本土で圧勝するや国民党は台湾に逃れ、以来二つの政権が対立したまま今日に及んでいる。

 中国革命最大の功労者孫文の生涯は波乱に富んでいたが、横浜とは、特に中華街とは極めて濃密な関係があった。孫文は当時の中国の青年たちがみなそうであったあったように日本の明治維新に深く傾倒し、中国革命の原点を明治維新に置いた。日本の研究や日本での組織活動・資金活動のための来日は十数次に及び、30数年に及ぶ革命運動のうちの9年間あまりは日本でのものだった。またアジアの後進の国家が強大なロシアを破った日露戦争は、若い革命家たちを日本に引きつける大きなきっかけになった。日本は中国の先進的青年の留学先として格好の国だった。裕福な家庭の青年はアメリカに、貧しい青年は日本かフランスを選んだ。日本留学組には孫文以外に魯迅、陳独秀、蒋介石、廖承志など、フランス組には周恩来、鄧小平などがいる)

 列強の帝国主義的侵略と腐敗した清王朝を前にして、民族主義・民権主義、民生主義を骨子とした革命理論「三民主義」は多くの日本人の間にも多くの共鳴者を生み、宮崎滔天、内田良平、頭山満などの大アジア主義の人たちを熱烈な協力者にした。しかし自由民権運動も挫折し、西欧列強の進出を前にアジア諸国の連携を求めた日本の民族主義者たちも、日清・日露戦争の勝利を経て徐々にアジア諸国との連帯から西欧列強入りに変質して行くのである。かつて羨望のまなざしで眺めた日本は中国・朝鮮などアジア後進国を踏み台に欧米列強と覇権を争うようになり、孫文の絶望の度を深めて行くのである。福沢諭吉に見られる「脱亜入欧」はその典型で、内田良平、頭山満、徳富蘇峰、原敬などがその延長にあった。その反面、宮崎滔天、山田良政(恵州蜂起に参加して戦死)、山中峯太郎(孫文により革命軍参謀長を委嘱される)などの分化を見て行くの。

 明治28年広州挙兵に失敗した孫文の潜伏先は現在の港郵便局付近の山下町53地のキングセ-ル商会であり、明治30年の亡命時には中国人同志の自宅山下町119、121番地(現在の朱雀門付近ののあたり)で、ここには宮崎滔天、山田純三郎、頭山満、犬養毅などが訪れている。旧態依然たる清国が新興国日本に破れ清朝打倒に立ち上がった孫文が袁世凱に追われて大正2年(1913)に日本に脱出したときは和船で富岡海岸に上陸した(慶珊寺入口に岸信介氏筆の碑が建っている。亡命碑は本来中華街に建立さるべきであろう)。

 このとき孫文の面倒を見たのが横浜の中国貿易商宮川氏でその後娘の薫さんとロマンスが生まれた。一子富美子さんが生まれる。この名は孫文の「文」を「ふみ」と読んだものである。辛亥革命が起こるや孫文は急遽帰国し南京で臨時大統領に就任する。中国からの仕送りが絶えて薫さんは足利市のお寺の僧侶と結婚し,富美子さんは里子に出された。1990年に富貴子さんは西区浅間町の「酒屋のおばさん」として亡くなるが、神戸から「華僑歴史博物館」「孫中山記念会」「孫中山研究会」の花輪が届けられ近所の人たちを驚かせた(「神戸・横浜二都物語」による)。

 没年の前年の大正13年(1924)11月28日に孫文は神戸の各団体に招かれ、神戸高等女学校で歴史的な講演をする。「日本は中国を助けて不平等条約を廃除すべし」がそれで、「大アジア主義」講演として知られている。その中で三千の市民を前に東洋と西洋の文化のちがいを語り、東洋の政治が仁義道徳をもちいる文化、人に徳を慕わせる「王道」であったのに対し、近代西欧のそれが武力で人を圧迫する文化を基礎とした「覇道」であるとする。「日本が不平等条約を廃除したその日が、全アジア民族の復興の日であった」とし、控えめな口調ではあるが、その日本がこれからのアジア文化の伝承者として国際社会で王道の道を進むか、それとも西欧列強とともに覇道を行くか、日本人の選択にかかっていると説く。

「あなたがた日本民族は、すでに欧米の覇道の文化を手に入れている上に、またアジアの王道文化の本質をも持っておりますが、いまより以後、世界文化の前途に対して、結局、西方覇道の手先になるのか、それとも当方王道の干城となるのか、それはあなたがた日本国民が慎重にお選びになればよいことであります」。

孫文の講演から九十年も経過しているのに、日本人として孫文のこの言葉に対する十分な回答がいまにできていないのを深く遺憾とするのみである。

 

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