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中華街を鏡に考える-004.

「落葉帰魂」から「落地生根」へ、

「白手起家」の精神

 

 中区柏葉に中華墓地・地蔵王廟がある。かつての中国人はこの世を去ると遺体は故郷に送り還してもらうことを最大の喜びとした。生前から漆塗の立派な樫の棺をあつらえて、葬儀が終わってからは棺の遺体に石灰を満たし、毎年一回やってくる「棺船」で故郷に帰った。前述の通り出身地は圧倒的に広東省なのでこの墓地も最初は広東人が中心につくられ、今でも広東省の墓碑銘が多い。初期の中国人にとって異国での新天地はあくまでも一時的な仮住まいの地である。いつか故郷に錦を飾ることを夢見ていたし、「華僑の」「僑」とは「仮住まい」の意味であったが、二世、三世になると本国への帰属意識も薄くなり、異国での国籍を取得するようになると、初代とはちがって自ら「華人」と呼ぶようになった。関東大震災以降棺船は来なくなり、地蔵王廟に埋葬される人がほとんどになった。三世のように異国が本国化すれば、体も魂も、その国に根を張ることを意味する「落地生根」に変わって来ているのである。

 「白手起家」とは裸一貫から身を起こす彼らの心意気である。国家や郷里の庇護を離れ異国で自己の生存を維持するには自立の精神を鍛えるしかない。中華街で成功している人の職業の変化を見ると、長く同じ職業を続けているよりさまざまな職業を遍歴している人が多い。どんな職種でも一生懸命に働く。しかし自己実現の精神に富んだ彼らは固定的職業に拘束されず、機を見て敏速に「翻身」する。会合や出版物での人物紹介でも「学歴」「出身校」に触れられることはまずない。徹底した実力社会における彼らの誇りは、昨今の大不況の時代にありながらもこの町を千客万来の繁華街にしてしまった。数年来東京ディズニ-ランドの年間集客数は1600万人台で伸びなやんでいるが、横浜中華街は1800万人前後で増加の一途をたどっている。

 

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