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中華街を鏡に考える-002-2.

.初期の中華街

(中華街ショ-ト・ヒストリ-)

 

 広東人は賭け事が好きと言われ、明治期には127番、148番、118番あたりにはバクチ場が常設されていたという。また戦前には随所に阿片窟があったようだ。問屋が4、5軒あって船員が密輸してきた阿片を買い、両替屋や質屋に一割五分から二割の口銭を取って売る。さらに五、六割の利ざやを取って小売りしていた。彼ら自身もこの時代の「いかがわしさ」を特別隠そうとはしない。

 関東大震災のとき朝鮮人虐殺の巻き添えで多数の中国人が殺され、また日中戦争期には敵国人として千葉県山武郡に強制移住させられるなど苦難の道を歩いた。昭和20年の日本敗戦後は消耗しきった日本人と対照的に、ここには豊富な食材があり法規制のすき間をくぐって札束が飛び交い、戦後の中華街発展のための「原始的蓄積」となった。幸いにこの街の人々の賢明な選択で治安上の対策に万全を期し、世界各国のチャイナタウンに「魔界」の形容詞がかぶせられているのに対し、ここには犯罪の影はない。映画会社がここを舞台につかうときも犯罪がらみの作品に対しては協力しないという約束もできているほどである。

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